ブレイクタイム

ブレイクタイム メイン画像1 (C)JRA

重賞競走

  • '02 京成杯オータムH G3
  • '03 京成杯オータムH G3

プロフィール

  • 父: デインヒル
  • 母: ホマレノプリンセス
  • 品種: サラブレッド
  • 性別: 雄
  • 毛色: 鹿毛
  • 生年月日:1997年05月21日
  • 母馬所有者: 谷口牧場
  • 生産牧場: 谷口牧場
  • 産地: 北海道浦河郡浦河町
ブレイクタイム メイン画像2

Catch up with Your Old Heroes 今、あの馬はどうしてる?

馬体の衰えもなく、健康状態は良好である。

情報提供者:所有者

Location & Conditions for Visitors 繋養者・見学条件

(C)JAIRS 撮影日 2022年4月11日
繋養展示場所
〒057-0036 北海道浦河郡浦河町絵笛559
 
谷口牧場
TEL
0146-22-5463
展示時間
09時00分~17時00分
冬期展示時間
09時00分~16時00分
休憩時間
12時00分~14時00分
見学休止期間
01月01日 ~ 05月31日
 
繁殖シーズンのため
連絡予約
前日まで
見学方法
自由見学
厩舎内への立ち入り
不可
備考
マナーを守って見学お願いします
同じ繋養場所にいる功労馬

Pedigree 血統表

Race Record 競走成績

着順 日付 レース名 競馬場 芝ダ 距離
1 2002年09月08日 京成杯オータムH G3 新潟 1600
1 2003年09月14日 京成杯オータムH G3 中山 1600
2 2001年06月03日 安田記念 G1 東京 1600
2 2002年08月18日 アイビスサマーダッシュ G3 新潟 1000
3 2000年06月11日 中日スポ4歳S G3 中京 1200
3 2001年07月01日 函館スプリントS G3 函館 1200
1 2000年05月13日 葵S オープン 京都 1200
1 2000年07月09日 菩提樹S オープン 阪神 1400
2 2000年10月01日 ポートアイランドS オープン 阪神 1600
2 2001年05月06日 オアシスS オープン 東京 1600
2 2002年07月14日 NSTOP オープン 新潟 1400
主催者 レース回数 1着 2着 3着 着外 賞金
2000年 中央 10 4 2 1 3 78,515,000
2001年 中央 4 0 2 1 1 59,914,000
2002年 中央 6 1 2 0 3 70,263,000
2003年 中央 1 1 0 0 0 43,588,000
2003年 地方 1 0 0 0 1 3,000,000
2004年 中央 1 0 0 0 1 4,300,000
合計 中央 22 6 6 2 8 256,580,000
合計 地方 1 0 0 0 1 3,000,000

Stories コラム

2017年9月 ~ブレイクタイムとの再会~

北海道浦河町絵笛。

北の玄関口「新千歳空港」からえりも岬方面に車で約2時間30分ほどでしょうか。

かつて佐藤浩市さんが主演したドラマの舞台にもなったこの場所は、馬産地日高の中でもとくに自然環境に恵まれた場所です。

2002年、03年の京成杯オータムハンデを連覇したブレイクタイムはここで生まれ、そして20歳となった今も生まれ故郷の谷口牧場で引退名馬として過ごしています。

夏競馬が終わって、秋競馬がスタートするとブレイクタイムを思い出すファンも多いと聞きます。

ここ谷口牧場でも、ブレイクタイムとの再会を楽しみに足を運ぶファンは多いと言います。

現役時代のブレイクタイムは偉大なるチャンピオンではなかったかもしれませんが、個性派スターでした。

3歳2月のデビュー戦から552Kgという大型馬。

その巨体から繰り出すパワーあふれるスピードで現役時代は芝の短、中距離路線で活躍したのです。
 
「2度も勝ってくれた京成杯は、のちに甥っ子にあたるレオアクティブも勝ってくれた縁起の良いレースです。
そういう意味では印象に残りますが、15番人気で2着に頑張ってくれた安田記念や、人気に応えられなかったマイルチャンピオンシップも印象深いです。」
とは谷口牧場の谷口幸樹さん。

晩年は慢性化した脚部不安に苦しみましたが、現役引退後は種雄馬として引取り、8年間を種雄馬として繋養していました。

しかし、当時、時代はサンデーサイレンス全盛時代。

繁殖雌馬集めには苦労したと言います。
 
「産駒数にはあまり恵まれませんでしたが、出走した産駒の勝ちあがり率は100%だったんです。
それは胸を張れると思います。」

引退名馬として繋養をスタートさせたのが2012年の暮れのこと。

種雄馬として最後のシーズンとなった11年は、2頭に種付けしましたが、残念ながら産駒に恵まれませんでした。そのため、11年に生まれた産駒がラストクロップとなりました。

このうち、タニタニと名付けられた雄馬は、14年に東京競馬場で先頭ゴールインを果たしています。
 
「GⅠ競走は勝てませんでしたけど、牧場にとっては功労馬で、今も春シーズンは試情馬(アテ馬)として貢献してくれています。
20歳になりましたけど、牧場にとっては代えがたい存在なのです。」
と、今も惜しみない愛情を注がれています。
 
引退名馬としての日常を尋ねると

「今は夏シーズンなので、大雨とか、雷が鳴るような日以外は、ほとんど24時間放牧です。
現役時代から大きな馬で、この馬自身体力には自信があるのだと思います。
さすがに年齢相応に肉は落ちて、顔が少しだけシャープになったようにも見えますが、気力、体力ともに衰えを感じたことはありません。」
と頼もしそうです。

ただし

「近くの牧場の雌馬が寄ってくると、この馬自身も嬉しそうに走りまわって元気をアピールするのですが、そういうときだけは張りきり過ぎてケガをしないかと、ちょっと不安になることがあります。
普段はおとなしく、扱い易い馬なのですが、馬房から放牧地へ出すときなど、よく立ち上がるのです。」
と、この時ばかりは、まるでワンパクすぎる子供を見守る親のような顔で苦笑いを浮かべていました。

そんなブレイクタイムをひと言で言うなら「賢い馬」だそうです。

「試情するときと、そうでないときははっきり理解していますし、見学者の方が写真を撮ろうとすると撮影が終わるまでじっとしています。
生き物ですから、いつかは天寿を全うするときが来ると思うのですが、その日まではこのまま穏やかに過ごさせてあげたい。その日のことは想像したくないですが、そう考えるとやっぱり寂しいです。」

と言う言葉は愛情にあふれていました。